なにより、悲惨な目に会う(会った)からやめておこう、という理由は、例えば坊主が見たことも無い地獄のイメージを振りかざして人を脅すに似て、要するに脅迫であるに過ぎない。そのやりくちは、どうも好きになれないし、何か重要なものを取りこぼすように思う。
不戦については、何かもっと前向きで普遍的な理由が、これからは必要になると思う。それは、表向き正義の名で行われる戦争や、表向き防衛の名で行われる戦争についても、納得のいく結論をもたらさなければならない。
それは、どこか深いところで、評価軸の多様化と繋がっていそうな気がする。