スドコのメモ
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アイヌ語の「川」には「ベツ」と「ナイ」の2種類あり、「ベツ」は水かさが増すとすぐに氾濫してしまう危険な川、「ナイ」は岸がしっかりしていて、洪水に強い川を現わしています。つまり、「ノボリベツ」や「石狩川」の古い言い方である「イシカリベツ」という名前は、それらの川が、洪水の危険をはらんでいるという意味が込められたもの。
一方、アイヌ語では「水」にも「ワッカ」と「ベ」という2種類あり、「ワッカ」は飲める水、「ベ」は飲めない水を指しています。ですから、「ワッカナイ」という地名には“川の水を飲んでも大丈夫な上、洪水の恐れもなく、川のそばに暮らしても安全な場所”という意味が込められているんですね。
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日本の国語教育では教科書に文学作品を掲載する場合が多く、作品の文学的解釈に偏りすぎる傾向がある。英米の国語教育では、文章の論理性、簡潔性の重要さを教える。このような国語教育の差は文章の作成能力、論理的思考能力の差となって現れ、社会人となってからの彼我の実務能力に大きい差がついてしまう。パソコンで英米人が文章を作るところを見た事のある人は、そのスピードに驚嘆したはずだ。日本人の10倍以上である。議事録などは会議終了後5分以内に出てくる。

大学の英語教育も英文科出身の教授が小説の逐語訳をさせるだけで、語学力の向上には役に立たない。国語と英語教育は根本的にやり方を変える必要がある。

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コネタ。新潮社支給のPCは一台につき一太郎かWordかどちらかしか(おそらくライセンス料の関係で)インストールされていない。したがってぼくの編集者はWordを開けない。セキュリティでOpenOfficeのインストールは許されない。新潮社内には無線LANはない。たいへん困っているのでTwitterで書いちゃってくださいとのこと。そりゃ困るだろうなと心から同情した。ちなみに(これは社の問題ではないが)新潮社本館は携帯の電波も届かないらしい。大丈夫なのだろうか。
ただ、素人もしくは他業界の観点から単純にアホと断言するのは早急な感じもするので、その点は擁護しておく。出版社は著作権管理が本業中の本業のところがあるので、ネット関係ではとくに厳しくなりがちなのだ。それは新潮社以外もすべて同じなのです。
Twitter / hiroki azuma (via hanemimi) (via otsune) (via kogure)
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巻末には、著者と勝間和代女史との対談「つぶやく力」も収録されている。ここで印象的だったのは、お二方ともTwitterの可能性は認めつつも、非常に冷静に捉えていること。ネット発で売れる人の多くが、ネットだけにとどまらず、当人の能力が高かったり面白かったりしているから評価されている、という当たり前のことを確認しているし、日本での「キャズム超え」にはケータイユーザーの存在と、「IT素人による意外な使われ方」が必要としている、というのは頷ける話だ。
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誤報が流れたときに『Twitter上に現地からのつぶやきがないのは違和感がある=これは誤報じゃないか?』という反応は非常に興味深い傾向。
Twitter / Koji (via rpm99) (via wideangle) (via hyasuura) (via otsune) (via sirchronofrost) (via yaruo) (via numabooks)